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料理教室とお菓子教室ラクレムデクレム新浦安(東京ベイ)
La Crème des Crèmes
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my-story
雑誌《理大科学フォーラム》にも掲載されました。2012年1年間連載の元原稿になります。ご興味のある方は是非。
理大 科学フォーラム 第一回 原稿 ******1回目********* はじめまして。料理研究家の熊谷真由美です。 平成元年に理学部応用化学科を卒業し、電気メーカーの開発研究所に就職しました。会社では表面分析を中心とする構造解析に携わること5年。色々人生あるもので、自分自身の中の好きな芽に気づいて、大きな方向転換を試みました。運がよかったのでしょう。今日までに、料理やお菓子の著書が国内で8冊、海外で翻訳本5冊。カルチャーセンターや自宅でのお料理教室を主宰するほか、雑誌の料理ページや企業のレシピ開発や広告用料理製作などをさせていただいています。つい先日もテレビ番組に2回出演させていただいたばかりです。 かなり異色な経歴です。フリフリ&キラキラな華やかな表イメージがある料理の世界では、可愛くない?出身大学を隠して(学生時代合コンのオファーはゼロです)、イメージUPをはかるのか、正直悩んだこともありました。しかし、時代の流れとは予測できないもので、逆に今はリケジョ出身を積極的にアピールできる時代になったのではと思っています。 今回は手始めに、大学を卒業してからの転身のきっかけを書いて行きたいと思います。 なぜ料理の世界に移った、移れたのでしょうか。これは運と行動力があったからと思っています。大学でのお勉強はとっても頑張りました。3年生の3月に内定して就職した会社でも頑張りました。私は昔から理科が大好き。でも好きになったのは、たぶん料理をしていたから。小学生のころ、料理クラブの部長をするほど料理が好きで、毎晩父の酒の肴にアジやイカを刺身にさばいたり、日曜日の家族のブランチをつくる、そんな子供時代でした。でも、子供だった故に、料理を仕事にするということは考えにも及ばす、社会人になるまで、限られた世界しか知らなかった。理科大を卒業する頃には、趣味で集めた料理のレシピのスクラップも電話帳数冊分ほどにもなっていて、料理は得意だと思っていました。実際独学でもどうにか習得できる世界です。しかし、入社してまもなく、理科大出身の同期が、日本橋のクッキングスクールに週1回通わない?と同期を誘っていました。数少ない同期の総合職女子がそろって通い始めました。花嫁修業?同期はみんなそんな軽いノリだったと思います。私はかなりハマってしまって、今までの自分のスクラップの料理より、もっと広い世界があるのを知り、同時に料理を教える職業があるのを知った人生の転機となりました。結局、同期はひとり辞め、ふたり辞めで、最後まで続けて通っていたのは私ひとり。会社を辞めてからも、そのクッキングスクールに通算6年ほど通学。和食含む多ジャンルの数々のプロに教わった経験は、今の私のベースです。 昼間の電機メーカーの開発研究所でのお仕事は、表面分析を中心とした構造解析。ノーベル賞の田中耕一氏の会社など2億、3億円もする高額な機械を使います。超高真空下で,電子線やX線やイオンビームなどを照射して表面のデータを取るというもの。機械が巨大で、専用の広い部屋を真っ暗にして、たったひとりで黙々とデータをとり、解析していきます。見ている世界も髪の毛の先より狭い空間。解析がたてこむと、ほとんど人としゃべらない日もありました。その反動もあったのでしょう。趣味で通うお料理教室が、とりわけ輝いて見えたのです。 アフター5の料理教室も最初は暇つぶしのはずでした。仕事自体は楽しかったです。最先端の技術を活用し、最先端の開発に携われる。大学の卒論がそのまま仕事に生かすことができて、環境的にも恵まれていた。趣味の料理は、仕事にするにも手段がわからず、もし転身したとしても不安定な世界。2~3年ほど悩みに悩んだ末、会社を思い切って辞めました。テレビの料理番組もなかった時代。料理研究家という仕事さえも認知度がなかったので、辞めるとき、「何故料理の世界へ?そこに何があるのか?」と言わんばかり、相当不思議がられました。(のちに料理番組全盛時代が到来します。)退職理由は、代官山にできた、フランス料理専門学校に通うため。実は少し前に、新聞に載っていた料理研究家の先生に共感して、出版社にファンレターを出していたのです。運よくアシスタントにとお返事いただいて、できたばかりの会社のフレックスタイム制を活用して、料理研究家のアシスタントをはじめていたんです。料理教室の裏方をしたり、本の撮影のお手伝いをしたり・・・。料理研究家の現場に実際かかわって・・・・、私もやってみよう!と決意できたのです。しかし、この世界それほど甘くない。何か、専門がなければ・・・・。栄養士になるとか、調理師になるとか、いくつか選択肢がありました。資料を取り寄せてみると、学ぶカリキュラムがまったく不明な分野がありました。フランス料理というジャンル。油っこくて、不健康なイメージを持っていました。でも避けて通るにも何が悪いという根拠もなく、フレンチのイメージすらわかない。好きでも、嫌いでも、よく学んでから、ものを言おう。知りもしないで感覚で思うのは、お門違いと・・・。”パリに本校をもつ代官山のフランス料理の専門学校”、活躍される料理研究家の先生方がたもパリ本校出身です。私は異分野転身の手段として、ここで学ぶことにしました。学校では、フランス人がパリ本校と同じ内容でフランス語でフランス料理の授業をします。生徒はわずか7人。日本校ができてもまもないころで恵まれていました。ここで料理研究家のアシスタントはまた違った環境に身をおいて、新たな気持ちで学び始めます。28歳のことです。
********2回目 【憧れのパリへ料理留学】************************************ 前回、「理学部応用化学科を卒業後、電機メーカーの開発研究所で構造解析というお仕事を5年務めて退社。代官山のフランス料理学校に意気揚々と入学した」までをお話ししました。 ここはかなり高度な料理を実習する学校で、パリ本校では卒業後希望すれば、フランスの最高峰、パリの3つ星レストランなどで研修することができるのです。生徒の中には花嫁修業気分で入学してきたお嬢さんもいて、初回のローストチキンの授業で、鶏の首を落とすところで、貧血で倒れてしまう生徒さんも。しかしほとんどの生徒さんが、異分野からの転身を試みて強い意志で学びにきた人ばかりでした。 フランス語はどうしたの?と思われるでしょう。講義では通訳はつくのですが、実習ではフランス人の先生と直接コミュニケーションをとります。講義中も料理の専門フランス語がわかった方が何倍も楽しい。便利な、フランス料理用語版”出る単”がプロ用にあるのを見つけ、入学前に、受験時代と同じ気分で、まるまる一冊覚えて望みました。フランス語の料理用語は、日本語や英語よりも、かなり数があります。驚きました。覚えておけば、、日本語2行が、たったひとつの単語で済みます。ノートをとるスピードがあがり、見るのに集中でき、苦労の甲斐あって、ずいぶん楽でした。 入学しフランス料理にふれてわかったのは、コロッケとか、グラタンとかオムレツとかオニオングラタンスープとか・・・・、実はフランス料理をすでに食べていた!という単純な驚きです。そんなことも知らないレベルでした。そこに親しみを持つと同時に、お料理のスキルはクッキングスクール時代にマスターしていたものばかりですので、苦労はしませんでした。ただ、料理が生まれた背景や歴史にとても興味をもち、毎回先生を質問攻めにしておりました。その中でわかったのは、フランス料理というものは存在しなくて、フランスの郷土料理の集大成が今のフランス料理を形づくっているということでした。地方の人々のかたくなな思いが、文化でもある郷土料理を守っているんですね。これは日本料理でも見習わなければと思っています。そして洋食の味付けは、実質”塩”のみ。その塩の分量も調理の過程に左右されるので、配られるレシピには塩の分量は記載されていないのです。私は、味のかなめは”旨みと塩梅”と心得ていましたので、いかに素材の旨みを凝縮していくかにこだわりました。この学校では、ひとりひとりに調理場所があてがわれ、各々4人分ずつ調理し、完成順に 先生の採点とアドバイスを受けるのです。7人いれば、7通りの料理が出来上がるのです。付け合せや盛り付けはもとより、何より味付けが微妙に違う。同じ材料を使い、同じレシピで作りながら、不思議だと思いました。私は料理の理は理科の理と心得ていますので、まさに理科大時代の学生実験気分でした。調理実習では、早く・正確に、プラス美味しく!完成するのが毎回の目標。実習中に面白いことがありました。毎回一番はじめにに採点を受ける私と二番目の5歳年下のSさんの作った料理を、ジャーナリスト出身の10歳上のMさんが、味比べをしていたのです。その事実を知ったのは、親友になって10年以上たってからなのですが、当時の私が作った料理の味は、年下のSさんよりも、「味が熟していた」と表現していました。必死でつくっている私の脇で、時間かまわず、ふらりと味見ジプシーをしていた彼女。作り手の個性が出ていて忘れられない思い出です。 フランスの料理の授業でけでなく、そのうちお菓子の授業もはじまりました。理系思考でしょうか。「レシピはフランス本校のものだけれど、フランスでつくると味に違いがでる?レシピの再現性を確認しなければ!」そんな思いがムクムク湧いてきました。「人参もじゃがいもも生クリームも素材が違えば、出来上がったものだって変ってくる、それを確かめたい!」 一人でパリに行くのには心細かったので、「一緒にパリ校に編入しよう!」とクラスメートを誘いました。免状をもらう上級コース受講のため、中級コースに進級したクラスメート5人のうち、4人が同時にパリへ乗り込むことになりました。当然ですが、フランスでの授業はフランス語のみ。ですが毎日フランス語で授業を聞いているうちに、料理用語だけの授業ならなんとか理解できるようになっていましたので、強気な決断でした。数か月のうちに準備をして、パリ校へ編入しました。 パリでの住まいは学校まで徒歩1分のヴォジラー駅のアパルトマン。家族で住める大きなマンションを借りて、4人でシェアし、毎朝アパルトマンから、全身コックさんの恰好をして、通学しました。朝9時から5時まで、土日以外は授業と実習の繰り返し。楽しかったですよ。実際にんじんもジャガイモは大きく変わらなかったのですが、乳製品だけは日本とは比べものにならない美味しさでした。パリ校でも日本校と同じスタイル、ひとりひとり4人分ずつの料理を作ります。・・・4人のルームメートが4人分ずつ!つまり毎晩我が家には16人分のお料理があるわけです。しかも住まいは学校から徒歩1分。なるべくして、うちは恰好のたまり場になりました。 集まるのはルームメイト4人の他に、学校の他クラスの一人暮らしの生徒さんたち、パリで修業中のパティシエさんなど。食費を浮かすため、ホームシック寸前の異国の孤独を紛らわすため、毎晩、食べに来ていました。おまけにワインの本場。つくっているのが本格フランス料理ですから、フランスワインとの相性はぴったりです。お嬢様ルームメイトが毎晩ごちそうしてくれました。日本よりはるかに安く、美味しい!フランスワイン、私にとっては、ほぼ初めて味わう本格ワインでした。ウンチクなしで味わって、本当に美味しいと思いました。(のちにクラスメートにソムリエがいて、帰国後私もワインの資格を取ることも視野に入れ始めます)。フランス料理の上級クラスは30人くらい在籍していました。日本人が3分の1。スペイン人が3分の1。残りはアメリカ人や台湾人。フランス人は学校には一人もいないのです。職業用料理学校が別にあるというのもありますが、日本のようなクッキングスクールはフランスにはないそうです。ましてやセミプロレベルの当学校にフランス人の女性は習いにこないのです。料理は代々母親から教えてもらうものだから、そうです。食文化の継承の仕方にも違いを感じました。 @@@@@@@ 以下加筆部分@@@@@@@@@@@ 来る日も来る日も午前中はフランス料理の調理の実演講義を受け、午後はその再現の調理実習。毎日繰り返すうちに、フランス料理の調理法のアウトラインが見えてきました。上級コースも中ばともなると、材料を見ただけで、調理手順が思い描けるようになるものですね。パターンがあるのがわかりました。食材の見方もフランス料理的に見られるようになりました。中でも白いお肉(豚・鶏・ウサギ)、赤いお肉(牛・鴨)、黒いお肉(野うさぎ、鹿など狩猟で得るジビエの熟成肉)という肉の分類の仕方はとても新鮮でした。この認識があれば、白いお肉には白ワイン、赤いお肉には赤ワイン、黒いお肉には上質の重い赤ワインというようにワインとのマリア―ジュ(結婚・お料理の相性、というフランス語)も簡単にできます。そして同じように、鯛やヒラメなどの白い魚は白ワイン、サーモンやマグロなどの赤い魚には赤ワインという組み合わせもできます。また、高級レストランでは必ずお皿にしく、フランス料理のソース。これには、必ず、セロリ・人参・玉ねぎ・ポロ葱・ガラ(骨)を使います。“こんがり焼いてから煮る”という作業を経て、最終的には目の細かい漉し器でなめらかに漉して、固形物のない液体で完成します。見えないところにすごく手間暇かかっているのです。派生したソースもたくさんあり、それゆえフランス料理はソースが命だということも体感できました。 3か月後の上級コースの卒業試験では、習った技法をもとに、各自オリジナルのお料理を考えて、授業のように生徒さんの前でデモンストレーションするのです。出来上がったお料理の味だけではなく、調理の手順や手際も採点されるのです。あっという間に試験日が近づき、課題食材が発表になりました。私たちの最終テストの食材は鳩。毎朝、足元に飛んでくる鳩にごめんねと謝りつつ、学校から戻るとスーパーで鳩を買って、連日リハーサルをしました。肉を切り開かずに筒状のまま服をぬぐように、鳥の骨を取り除く手法が私は大変気に入っていたので、それを使って、中に鳩の挽肉をつめて、ローストチキンのような形に仕上げる、わりと古典的なレシピで試験に臨みました。つたないフランス語で説明しながら、時間内に調理を終えると、トマトのバラを添え、入魂ソースの上に鳩のローストをのせ、大きなお皿に盛りつけて完成。無事上級コースを修了しました。渡仏の目的がこれで果たせました。 さて、日本に戻るまでに2か月ほどの猶予があります。予定ではフランスの地方を回って、地方の郷土料理を食べ歩くつもりでした。しかしパリの高級レストランで修業できる制度があると聞き、卒業間近に申込むことにしました。当時は今のように資料や情報があまりなく、卒業目前にそのような制度を知ったのです。ダメ元で申し込んだ研修(スタージュ)。人気のある3つ星レストランは1年以上も前に申し込まなければいけないことも、そのとき知りました。 私は帰国したら、お料理教室を主宰し、料理研究家として活動するというはっきりとした、目標がありました。しかも人を雇うのではなく、自分ひとりで切り盛りしたいという希望がありました。3つ星レストランでは、腕の立つプロの料理人が多数いて、学校を卒業した新米はジャガイモの皮むきで終わってしまうという噂を耳にしておりましたので、「小回りが利いて、じゃがいもの皮むき以上のいろんなことを経験できるレストランがいい、星の数にはこだわらない。」という欲張りな希望を教授に出しました。希望を伝えたその場で、ぱっと電話をかけてくださって、すぐ決まったのが、1つ星レストラン、≪ターブルダンベール≫です。夜の繁華街、ムーランルージュなどがほど近いモンマルトル界隈のアンベール駅からすぐのところでした。1つ星ながら、パリで大人気のターブル ダンベール。ここは、料理のシェフとお菓子のシェフパティシエが兄弟で、パリでは話題の店。短い期間ですが、パリっ子の好きな、モンマルトルのこの店で働けることになりました。もちろん、タダ働きです。 顔見せに店に伺うと希望通り、お料理もお菓子も順に担当させてもらえることになりました。菓子のシェフパティシエは大注目のフィリップ・コンチーニ氏。当時からとても有望で、オリジナルな斬新なお菓子を提案する方でした。今やフランスを代表するお菓子職人として、活躍されています。その方のそばで働けたのはラッキーなことだったと今つくづく思います。 ふだんは用意周到な性格の私なのですが、フランス料理に関しては、いつも思いつきというか、直前の気まぐれで、新しい経験をすることになったのは今思うと不思議です。そして、なぜ2か月間しか残り時間がなかったかというと、日本で料理研究家のアシスタントをお休みして、パリ校に来ていたからなのです。この時間のリミットがあることにより、できるだけ時間を有効に使おうとする姿勢につながりました。今思えば、半年弱の留学期間を延ばすこともできたのでしょうが、私は日本でお世話になっている先生との信用とか信頼関係の方を私は選びました。「せっかく行ったのだから、もっと長い期間修業してもよかったのかも。」帰国してから、こう思ったこともあるのですが、やはり、これでよかったのではと思っています。どの仕事も同じかもしれませんが、社会で仕事をしていくうえで、けっこう大切なことだと思っています。また2か月以上の研修は体力的にも限界だったかもと思えます。そんな過酷なスタージュに、自ら望んで挑むことになろうとは。“若さゆえの怖いもの知らず”、という言葉が今は浮かびます。 @@@@@@3回目ない。。。@@@@@@ @@@@@@@@@@@@@@@4回目@@@@@@@@@@ 【気まぐれのパリ1つ星レストラン修業】 さて、フランスの料理学校の最高免状グランディプロムを取得して、すぐにパリの高級レストランで週6、朝9時から夜10時までの無報酬の研修が始まりました。注目の1つ星レストランでしたが、調理メンバーは10名,サービスのソムリエ3名、洗い場の移民、そして料理のシェフとお菓子部門のシェフ。研修生は、外人の私ひとり、女ひとりでのスタート。朝客用トイレでコックの恰好に着替え、厨房へ。ガルドマンジェ部門のセバスチャンに教わりながら一緒に、パリ男に混じって調理を手伝います。男世界に動じなかったのは、理科大時代の慣れでしょうか。 まず朝9時から11時までランチの仕込み。付け合せの野菜をつくり、冷蔵庫に入れておく。誰もが最初ここに配置され、そこから順にポジションが上がっていきます。トップの肉料理部門は、シェフ代理のスーシェフ。客に提供する料理を事実上調理し、厨房を仕切るのは、スーシェフ。シェフは営業時間、料理の皿の上に最後ハーブをのせるだけ!(実際はここで全部を監督しています。本当は怖いシェフも、何も問題がない時には、オーダーを読みあげ、ハーブをのせ、皿を最後磨いているだけ!が仕事のように見えます。 そして12時から15時までの営業前に、まかないランチ!夜昼、一日2度のまかない料理が、私は大好きでした。当番制で、シェフを夢見るキュイジニエ(料理人)にとってスタッフに腕をふるえる絶好のチャンス。プロの料理人ですから、味が確かなだけでなく、センスも◎。肉だって鶏や牛だけでなく、、そこはフランス、ホロホロ鳥やウサギなんてことも。レストランで提供する技でつくる、家庭風の料理。私はこの時間が一番勉強になりました。 あるとき、白身魚の煮つけに、バニラをいれたセバスチャン。バニラはお菓子の材料なのに魚の風味づけに?ラン科の植物のツルを発酵させてつくるバニラ。エッセンスとは似つかない香り。本物をパリ男がさりげなく使いこなす。衝撃でした。こんな風に毎日小さな新発見がありました。 まかない料理と言えば、短時間にかきこむというイメージですが、ここはフランス。たっぷり一時間あり、客間できちんとテーブルをセッティングしていただきました。時には、仕事前なのに!ワインがついて・・・。(たぶんソムリエたちの、ひそかなお味見会だったのかもしれません。)みんな不在のシェフを話題におしゃべりを楽しみ、(このころは聞き取れていないのが惜しまれます)それから、昼のオープン。 フランスでは通常レストランがあくのは12時。お客が入店しオーダーがはいると厨房は戦場のようでした。高級レストランなので予約客が基本で、人数の把握はできていますが、実際何を食べられるのかは、その時になってみないとわかりません。私の場所はそのスタートとなる一番最初の場所。すべての料理の内容を知らないと出来ません。研修初日には、店のメニューの名前はもちろん、付け合せ、そしてお皿をすべて覚えました。こうしてシェフが声高らかに読み上げたオーダーをきちんと聞き取り、その盛り付け皿をコンマ数秒で取出し、付け合せを盛るのです。シェフがオーダーを読み上げる度、全員で「ウイー、シェフ!(了解、シェフ)」と返事をし、料理人たちの作業の手早いこと。冷蔵庫のどこに何をいれたかまで、ちゃんと覚えておかなかればいけなく、最初は開閉時間にまで、うるさく言われました。 あと、ペーペーの私は、よく”ぱしり”にされました。パリの建物は築100年とかの石づくり。地下へ狭い石のらせん階段を下りるとそこは薄暗い洞窟のような食材倉庫。何かを持ってこいといわれるやいなや、駆け降りていきます。特に冷蔵室が大好きで、、言われたハーブを沢山の種類の中から確実にもって上がらないといけない時にも、脇にある下ごしらえを終えた野菜やお菓子などを観察するのを毎回欠かしませんでした。あるとき、びっくりしたのは、バケツの水にひそむ、お面のような物体。あとで牛の顔の皮だと知りましたが、テットドボー(牛の頭)というフランス人が大好きなゼラチン質の部位。仕込み時間に広げて見せてくれました。目鼻部分に穴のあいた、女性の化粧パックのような形。質感は豚足。まさに面の皮一枚。こんな部位も高級レストランで提供するのかと驚きましたが、臓物料理はフランスではとっても普通のものなのです。レストランの手の内が見れる、冷蔵室はとても発見が多かったです。 料理場に戻ると戦場。何かをもって移動するときには、大事な料理を落としたり、怪我をしないように、必ず大声で「ショー!ショー!(熱いよ、熱いよ)」と叫びながら通ります。冷たいものを持っていても、です。それくらい、客のはいっている営業時間は目の回るような忙しさでした。また本当に人手が足りないときには、私も”猫の手”として、客用のラングスティーヌ(手長海老)を焼かせてもらったりもしました。 14時でオーダーストップ。15時でいったん店を閉めます。そして15時から17時まで2時間昼休み!そして夕刻17時に店に戻り、またディナーの仕込みをして18時には夜のまかない。夜の営業は昼以上の忙しさ。私は22時に終わるように要請していましたが、フランス人はレストランに出向いて食事を始める時間が夜8時。夜10時が一番店がにぎわっている時間で、それからデザート。店は12時まで。フランスの高級レストランは、ゆっくり食事を楽しむため、客席は一回転。フランス語にコンヴィヴィアリテという言葉あります。仲間と食事を通して、美味しく楽しく至福の時間をすごすこと。‘‘フランスのレストランがはそれを実現する空間なのだと体感できました。
5回目
【天才3つ星シェフの真空調理法】 パリのプロ用調理道具街で買った道具を山ほど引っ越し便で日本に送って、帰国。 一週間くらいほど経ってからでしょうか。代官山で教わったフランス人の恩師から電話があり、オープンしたばかりの恵比須の超高級フレンチレストランで働くことが決まりました。恩師は、私たちがパリに渡る同時期にヘッドハンティングされ、パリの有名レストランの日本店オープンに際し、シェフ・パティシエ(菓子部門のシェフ)として抜擢され、氏もパリのレストラン本店に研修に来ていたのです。J先生は、、私たちの食事を食べに、”たまり場”に顔をちょくちょく出されていたおひとりでもありました。パリ滞在中、アルザス地方のご実家へ私たち生徒を連れていってくれたりと、何かと交流がありました。 このレストランは20世紀の巨匠と呼ばれた天才3つ星シェフのジョエル・ロブション氏が料理部門を担当。それだけでなく、別の3つ星レストラン、タイユヴァンがサービス部門を取り仕切る、世界初の6つ星レストラン!と騒がれた超高級フレンチレストランです。フランスから、とりよせた建材でできたお城のようなレストランは、瞬く間に予約数か月待ちの話題店となりました。このレストランは客間が優雅で広いだけでなく、厨房もB2Fから3Fまであり、選ばれた料理人たちがスタイリッシュな空間でハイレベルな調理をします。 私はフランス料理学校卒業したての素人同然なので、そんな場所に呼んでもらえること自体が、夢のようでした。しかるべく、調理師さんたちのヒエラルキー外で働く感じの立ち位置でした。朝から晩まで同じセクションを担当する他の料理人たちとは違って、ちょっと自由度のある仕事の仕方。午前中は、最高に美味しいフランスパンを使って、フォアグラのサンドイッチなどテイクアウト用のフレンチ惣菜パンを担当。店から見えるガラス張りの中で来店のお客さまに見せながら調理。午後はお菓子の部門で製造のお手伝い。時間があれば、焼きあがったお菓子やパンのラッピングなどをさせてもらいました。結果、他部門の厨房なども見ることができて刺激的で、週6日9時から15時までと割とハードでしたが、1年ほど続けることができました。 ・・・・あるとき、冷蔵室の脇で、ギューンという何かを吸い込む音。見るとビニール袋の中に牛肉があり、真空パックにしているのでした。これが、はじめて目にした、【真空調理法】。当時、最先端のフランス料理の調理法です。卒論や会社で真空空間をつくって表面解析をしていた私には、“脱気”であり、本当の真空ではないという感じだったのですが、どこか科学的な調理法が出現してきたことに驚きました。そして、リケジョとしては“真空”なんてついていたら、興味をそそらます。理論が気になりました。 ところで、皆さんが思われているフランス料理のイメージは、バターや生クリームたっぷりの油っこい料理なのではないでしょうか。実はこれは半世紀前の古典的フランス料理のイメージ。40年ほど前に、バターや生クリームの使用を出来るだけ抑えたヌーベルキュイジーヌ(新フランス料理の意)と言う軽いフランス料理が大流行しました。それが進化して、20年ほど前にでてきたのが、この真空調理法です。さらに軽い味わいの料理を簡単に作れるようにしたものです。 もともとフランスの古典的調理法にコンフィという、鴨肉の脂の中で70℃程度の低温で長時間加熱して肉を柔らかく加熱する方法があります。これと真空調理法Cuisine Sous-Vide(別名 低温調理法)はとても似ています。が、真空調理法の方は、脂を使わず湯煎で、使う食材も肉から魚、野菜まで多様にわたり、味付けも同時にできる調理法です。1970年代にフランスのン3つ星シェフ トロワグロの依頼で、フォワグラのテリーヌの目減りしない調理法として開発され、のち 3つ星シェフの ジョエル・ロブションが新幹線の食堂の調理法として取り入れ、瞬く間に世界的に大流行。フランス料理界でも革新でした。 真空調理法の最大の特徴が調理プロセスを時間と温度で調理がデジタル管理できるというもの。簡単にいうと、食材を焼くなど下処理して調味液と一緒に付け込んで、真空パックにし、ビニール袋ごと58℃~95℃の低温長時間湯煎にかけ、食材の芯温度50℃~65℃の温度帯で一定温度(食材や料理によって異なる)を保ったまま、数時間から数日かけて、ゆっくりと加熱調理するというフランス発の調理法。湯煎にかけるので、レトルト食品と似ていますが・・・違います。脱気により低温で加熱調理が可能で、浸透圧もかかりやすく味ふくみがよくなるので、従来の加熱調理では逃げていた、うまみ・香り・味・栄養を閉じ込めることができます。これにより肉なら焼き汁が流出したり、焼き縮みがおきにくいので、パサつくことなく、しっとりとジューシーに柔らかく火が通るのです。外観的には、肉の切り口全体が均一なロゼ色なので見ると判断できます。つまりローストビーフなど肉類にはもってこいの調理法なのです。野菜なら、温度勾配がないので、煮くずれないで(分量が目減りせず)、ムラなく均一に味がはいります。レストランでは、ジョエル・ロブション氏お得意の、緻密かつ芸術的な盛り付けで提供され、皆がいまだかつて経験したことのない最先端フランス料理は大人気でした。「温度さえあっていれば、時間をかけすぎても加熱しすぎるということがない。時間のファクターは小さなこととなる。」という真空調理法は、こうして、調理側にも食する側にも、受けいられたのです。 しかも、経営側にもメリットがあります。料理のデジタル管理が可能になったのです。つまりデータの管理・共有により、職人がいなくても、同じものが作れる、ということです。従来は修業をつんだ熟練料理人のセンスや技という【アナログ調理技術】に頼っていた料理が、真空調理法の出現により、“いつでも”“誰でも”“閉店後”でも調理が可能になったのです。【プロセス温度と時間のデータ数値管理】という【デジタル調理技術】で一定の味と品質を再現できるようになったことは、いろいろな意味で料理界の流れをかえたといえましょう。 最近では高級フランス料理だけでなく、日本の煮物の調理原理などと近いので、和食にも広がっています。特に居酒屋やファミレスや病院などの外食産業でよく普及しているようです。居酒屋の肉じゃがやおでん、定食屋の焼き魚や、レストランのローストビーフやデザートに高級 懐石料理などなど・・・。ありとあらゆるところで、この真空調理法でつくられた料理を、多くの人が知らぬ間に口にしているのです。 ・・・・こうして、フランス人恩師が呼んでくれて始まった、 日本のレストラン経験でしたが、天才3つ星シェフの店とだけあって、パリの一つ星の時よりも、当然要求度が高く、一流の料理界を経験できたことは、学び取ることが多く、幸運でした。そして、そこで真空調理法と言う、科学の香りのする、当時の最先端の調理法の導入にも、遭遇できました。アナログだと思っていた料理の世界に、デジタルで科学的な要素が入りこんできたことは、免疫があるとはいえ、少し戸惑う私でした。しかも、これが序奏だとは当時 知る由もなく。
6回目
最近、温度50℃とか65℃とか温度をキーワードにしたレシピをよくみかけませんか。15年ほど前私がフランスから取り寄せていたプロ向け専門料理雑誌で毎月目にするようになった“分子ガストロノミー” (分子料理術)の研究データ。パリのフランス国立農学研究所の物理化学者エルヴェ・ティスの、従来の食品科学を掘り下げた、調理プロセスの科学メカニズムの論文が、電子顕微鏡写真や分子構造の図解と一緒に、フランスの一流シェフのレシピや美しい料理写真に混じって掲載されていた。たしかに料理の理は理科の理。 「分子料理術は料理の科学」 と彼も言っていて、始めは、界面活性剤、PH,浸透圧,ゲル化、コロイド溶液、温度、エマルジョンなど、古くから伝わる調理テクニックを科学理論の裏付けで説明することからはじまった。失敗しない調理が可能になった。次第に注射器、錠剤カプセル、スポイト、液体窒素、ピペット、ビーカー、メスシリンダー、温度計、オブラートなど化学実験“道具”を厨房に導入するようになったのである。そして、安定剤、ゲル化剤、乳化剤として知られる化学物質(食品添加物)を使って物理化学の、“技術 ”までも取り入れるようになった。化学実験のような方法で未知なる創作料理を作る料理法へ進化していったのである。この意味では、真空調理法(低温調理法)は分子料理術の流れの先駆けだった。 一流シェフたちに科学理論を説明し、物理化学者の指導のもとコラボして生まれた料理、「分子ガストロノミー」。中でも、パリの3つ星シェフピエール・ガニェール はエルヴェ・ティスの良き表現者で、多くの科学的近未来料理を次々と“発明”し、自らの3つ星レストランで提供。 自然界にはない食品を創作する調理法が世界的に流行。日本でも最近になってメディアが取り上げるようになって来た。化学実験ショーのような分子料理術の料理、普通は食べたいって思わないでしょう。しかし、ガイドブックで提供店が軒並み高評価。パリでは実験セットのような添加物つき調理キットがスーパーにも並び、庶民レベルでも流行した。中でもスペインの、天才シェフ フェラン・アドリア氏が腕をふるう3つ星レストラン エル・ブリelBulliは世界で最も予約の取れない話題の超高級レストランとなり、分子料理術で作る新作料理は、沢山のメディアに取り上げられ、誰もが未だかつて口にしたことのない料理を世界中から賞味に訪れた 。しかし、数年先まで予約が取れなかったその店もそう長くは続かず、2012年に閉店。 「実験」のため一年の半分は店を閉めざるをえなかったというのがその理由とか。機会があって、先日そのエルブリのお菓子部門のシェフのつくるお菓子を日本でも楽しむ経験をさせていただいた。歓声が上がる、一回のサプライズのための料理。たしかに21世紀の料理法かもしれないが、これは興味深い実験であり、毎日いただく料理ではない。美味しいと思っていい料理ではない。消費者の食品添加物に対する抵抗感の無さと飽食の時代を反映していると思う。 たしかに料理に科学的視点は欠かせなく、理論に基づいた調理テクニックだけでなく、プラスαとして、五感や時には美的センスや第六感やなど様々な要素が、美味しい料理を作ると感じている。分子料理術の中には、ひとの五感に訴えかけ、味覚を変化させる試みもある。たとえば・・・・香りを送風しながら嗅覚を刺激しつつ食するとか、海の波の音を聞かせながら塩味を感じさせ、塩の添加を控えるとか。食べる、作るという行為にこれほどまでに、科学的解釈を加えようという動きは今までなかった。 この動きは悪くないと思うのだが。そして現代は食材として純粋な自然の恵みの他、第二次世界大戦後に大量生産されている食品添加物を使うことで、今までに存在しなかった新しい食べ物を料理として提供できることに気が付いた。 味覚や食感などにいまだかつてない大きなサプライズを与えることができる。 ジャンキーな素材を、高級フランス料理の3つ星シェフたちがこぞって使う。コストダウンのためと言った従来の使い方ではなく、未知なる美味を求めたエンターテイメントのために使う。料理界のトップたちがさらなる好奇な料理を求められた、行きついた先。と同時にそれを受け入れる世の中。できたものを知らずに食べるなら抵抗は少ないだろう。・・・・スポイトから溶液の中に垂らして・・・、液体窒素で・・・・。熱々のアイスクリーム。泡泡ソース・・・。今まで見たことのない形状や質感が薬瓶からサジでいれた添加物によって可能になる料理。化学実験なら興味深いが、それを口に入れて”美味しく”食べるというのは、裏方を知ってしまうと出来るだろうか? 半年前に見たジャンレノ演じる映画「シェフ」では、この分子料理術の流行をテーマに、皮肉的に描写していた。化学実験室のような厨房を何度も登場させ、分子料理を提供し大繁盛する、話題の高級レストランを滑稽に描いていた。この 映画では、「伝統古典料理の伝承は、ほどよいバランスでの近未来料理との融合で可能である・・・・」と、監督が私の考えを代弁しているようでもあった。料理界で巻き起こる旋風をよそに、私の見て来たフランスは20年前から変わらない。今世の中はボーダーレス。変化を求めるのは理解出来るがマスコミが新しい流行を生み出しても、人々の好む味わいというものは、今も昔もその国の中でそう大きく変わらないと思う。フランスでは有名パティシエの新名店でも、昔からの他のお店のお菓子と同じお菓子が並んでいる。フランス人のお菓子や料理の店のラインナップを見る限り、味覚が保守的で、見た目も味わいも、古典的なスタイルを保ち続けている。流行が見事にない。有名パティスリーに並ぶお菓子のラインナップが見事に20年前の写真とほとんど同じなのである。これには驚いている。新しいデザインや新しいテクニックなど、毎年生まれる最新の流行に乗り遅れまいと、20年間毎年同じ時期に、刺激を求めてパリに行って、確かめ続けているのに。皮肉なことに、【全然変わらない】という結論。もちろん見えない部分に工夫や新テクニックがほどこされたり、丸が四角になったり、現代風に味が軽やかになったり、デザイン等の革新はあって食べる現代人にあわせて、進化しているのではあるが。つまり基本的に、味覚というものは、ずっとアナログなのである。ましてや、科学の進歩と同じ速度で進化しないのだ。食は(命を)いただき、生命を維持するもの。いくら調理法が進歩しても、世界中、老若男女、時代が変化しても、味覚はずっと保守的で、大きく変わらないものだと確信している。日本では、女性は新しい味わいに比較的興味津々だが、男性は概してフランス人並に味覚に保守的だと感じる。これが本来の種の保存本能だと思っている。 食べる行為は本能的。頭で理解してから、ではなく、シズル*もの。 (注*料理撮影で、はずせない業界用語。“よだれがズルっとたれるほど美味しそうな”。)食が正しい“いただきます”でありつづけられるように、【和気あいあいとした楽しいフランス式の食卓コミュニケーション、コンヴィヴィアルな時間】を大切にしながら、 私は食の分野から小さなお手伝いができますように、リケジョ料理研究家はそう思いながら、仕事にむかう。
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